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コラム
2017.09.24
コラム

明日、9月25日にも衆議院が解散されると言われています。
その約1ヶ月に行われる選挙のために、解散について書きたいと思います。

 

1 憲法の定め
日本国憲法は、解散権について、あまり明確な定めを置いていません。

 

ア 69条
憲法69条は、衆議院が内閣不信任案を可決したとき、内閣は衆議院を解散できる。解散しないとき、内閣は総辞職しなければならないと定めています。

なぜか。そもそも内閣は、衆議院の多数決で内閣総理大臣が選ばれ、総理大臣が大臣を選ぶことで成り立ちます。選んでくれた衆議院の多数から「不信任」を突きつけられてしまったら、存在し続ける正当性がなくなります。だから総辞職しなければなりません。
他方で、これだけのルールだと、衆議院>内閣となりすぎてパワーバランスが偏りすぎ、内閣は腰を落ち着けて仕事ができません。内閣が弱すぎて三権分立のバランスが悪いので、内閣に「解散」という対抗措置を与えることで、軽はずみに内閣不信任なんてできないような仕組みになっています。

 

イ 7条
憲法7条は、天皇は内閣の助言と承認により、国民のために次の行為を行うと定めていて、その中に「衆議院を解散すること」が含まれています。

なぜか。日本国憲法は、天皇主権の大日本帝国憲法を改正して国民主権とすることで生まれました。天皇から政治権限を奪う必要があり、衆議院の解散権もその一つでした。他方で、天皇をどう定めるかも大きなテーマでしたので、儀礼的な行為は天皇が行うとして、実質的な決定権は内閣に委ねるということで、助言と承認という形になりました。
他方で、内閣がどんなときに「衆議院解散の助言と承認」ができるかは、憲法に何も書かれていません。なお、ここに「国民のために」という一文があることもポイントです。果たして、国民のための解散になっているでしょうか。

 

ウ 自由に行使できる?
何も書かれていない→自由に行使してよい、いつやってもOKということでしょうか?そうではありません。そのような解釈は次の2つの指摘に論理的な反論が成り立たないことからわかります。よく「専権事項」という表現がされますが、専ら権限があるという意味でしかなく、いつでもやっていいわけではないということです。

内閣は、衆議院が多数で内閣総理大臣を選び、内閣が大臣を選ぶことでできています。国民に直接選ばれているわけではありません。その内閣に、
・なぜいつでも衆議院を解散できるほどの正当性が生まれるのか?
というのが一つ目の指摘です。

さらに解散権は、選挙の時期を決める権利でもあります。いつでも自由に行使できるとすると、内閣は選挙の時期を自由に決められることになります。時期を決められるということは、選挙を有利に展開できるということです。これは民主主義国家において極めて強い権利です。
・なぜ、選挙を有利に展開できるという強い権利を、「内閣」に与える必要があるのか?
というのが二つ目の指摘です。この二つに論理的な反論が成り立たない以上、いつでも行使できるということにはなりません。そこには限界があるということです。

 

エ どんなときにできる?
では、どんなときにできるのか?となりますが、これは、唯一の具体例である69条の場合を参考に考えることになります。例えば、内閣の提出した重要法案を衆議院に否決されたときが典型例です。
さて、今回の解散は、「できる」ときに含まれるのか、ということです。

今回の解散理由が、この後、記者会見で語られるような、後付けのものでないことは誰の目にも明らかです。まず解散することが内々に決まって、その後理由が後づけされていることは、一連の報道のとおりです。

・支持率が上がってきた今選挙をすると有利だから
・野党が選挙の準備をできていないから

つまり、与党である自由民主党と公明党にとって有利だからという「党利党略」です。深く考えなくても、これが、解散権を行使できる場合に該当しないことは明らかです。
69条の場合とかけ離れ過ぎていますし、そもそも憲法上の組織である、内閣がどうこう、衆議院がどうこうですらなく、憲法に登場しない「政党」の都合でしかありません。もちろん、政党自体は国民に選ばれたものでもありません。
さらに7条は「国民のため」の解散を定めているに過ぎません。「党利党略」、つまり自分の政党のための解散を認めていません。
最も有名な憲法学者である故芦部信喜教授も、典型的な解散権の不当行使が「党利党略」によるものだとしています。

 

オ 違憲だ・不当だというときにどうしたらよいか?
憲法には後ろ盾がありません。刑法なら警察や検察が後ろ盾になっており、守らないと逮捕等されます。民法なら裁判所や執行官が後ろ盾になっており、守らなければ差押え等がされます。しかし、憲法にはこの後ろ盾がないのです。守らない者が現れても誰もペナルティを科してくれないくれないということです。

裁判所は?となりますが、裁判所が取り締まれるケースは少ないです。我が国が付随的審査制をとっていること、裁判官は主権者国民に選ばれた人ではないことなどが理由です。

後ろ盾がない憲法、つまり守らなくてもペナルティがないルールは、当然破られやすいです。これを守らせたいのであれば、主権者である国民がペナルティを与える必要があります。憲法の後ろ盾になり得るのは国民だけだということです。

つまり、違憲だ・不当だというときに、ペナルティを与えるのは国民の仕事だということです。そして、主権者である国民がペナルティを明確に下せる機会が「選挙」です。
なお、昨今、憲法を為政者が憲法を無視するケースが続いています。憲法は次第に、誰も守らないルールが書かれた紙きれになりかけていることを、ぜひ重く受け止めていただきたいと思います。私たちの生活の骨格となっている、国民主権も、戦争放棄も、基本的人権の尊重も、憲法に書かれたルールだからです。これが紙切れになれば、普通の生活は普通でなくなってしまいます。

 

カ 53条
もう一つ、今回の解散は憲法53条を破る脱法行為であるという指摘があります。
6月22日に、4分の1を超える国会議員野党が臨時国会の召集を求めました。この権利は少数者であったとしても、つまり多数決で負ける者であっても、議論の場は設定できるという実は大切な権利です。少数者召集権といいます。

臨時国会の収集が求められたとき、内閣は「召集しなければならない」と憲法53条が定めていますが、約3か月、国会は召集されませんでした。これ自体が憲法違反であると指摘されています。

今回の解散は、臨時国会を召集したと思ったら冒頭で解散し、議論の機会を奪う行為ですから、憲法53条の「しなければならない」の脱法行為です。3か月召集されなかったことと合わせれば、憲法違反と言うほかありません。

憲法を破ってでも、議論の機会を設けない、森友学園・加計学園問題の追及を避けたいという執念が現れていると言うしかないでしょう。

 

2 民主主義の弱点をついた禁じ手
少し別の角度から、でも、憲法の、民主主義の話をしたいと思います。
民主主義は万能ではありません。頻繁に間違えます。特に、日本国民は熱しやすく冷めやすいところがあると言われていますから、間違える確率は高いでしょう。
民主主義が間違えると、国も間違った政策を進めることになります。国益に反し、国は発展しないどころかおかしな方向に進んでしまいます。その果てが戦争です。これを回避する必要があります。

よって、実は解散権を委ねられた内閣は、もし解散権を行使するなら、国民が選挙にちゃんと望めるようなタイミングで選挙が行われるような時期に行使すべきであるというテーゼが存在します。
「野党の準備が整っていないから」などという解散理由は言語道断だということです。これでは、国民は選択肢のない中でしか選挙権を行使できません。今回の解散権行使は国益に反しています。

そして民主主義には弱点があると言われています。それは、緊急事態が起きたとき、感情に流された選挙結果がでやすいということです。
ミサイルの発射により、多くの国民がざわついています。不安、恐怖、怒りが多かれ少なかれ生まれています。冷静さに欠けている部分があり、このざわついている感情を沈めてほしいと、誰もが期待しています。

さらに、主権者国民といっても、私たちは庶民です。本当に戦争が始まってしまえば無力であり、国家に守ってもらうしかありません。緊急事態が起きているとき、国民は、国につまり政府にすがらざるを得ないところがあります。

ミサイルが頻繁に飛び交ったことにより、政権の支持率が上がっているのも、この二つの理由に基づくところが大きいでしょう。
こういった弱点が民主主義にはあるので、緊急事態時に国民投票等を行ってはならない、それは「禁じ手」であると考えられています。国益に反します。

投票日は10月22日だと言われています。10月にも米韓軍事演習が予定されていると報じられており、それへの応答として、ミサイルがまた上を通過する可能性があります。それこそ、投票日当日に、Jアラートが鳴り響くという可能性すらあります。
こんなときに解散権を行使するというのですから、批判は免れられません。私は過去最低の行使だと思っています。

 

3 憲法を守らせることは国民にしかできない
途中にも書きましたが、憲法には明確な後ろ盾がなく、主権者国民しか後ろ盾になれません。もしそれをしないなら、憲法は次第に「紙切れ」になっていきます。
国民主権も戦争放棄も基本的人権の尊重も憲法に書かれていますから、紙切れになってもらっては困ります。

今回の選挙で、政府の狙いどおりの選挙結果を与えるのであれば、また同じことが繰り返されるでしょう。
憲法が守られない事象は今後も続き、着々と紙切れに近づいていくでしょう。選挙も、野党の準備ができていない時期にばかり行われるようになり、国民は選択肢の少ない選挙を、一体何のための選挙なんだろ?という選挙を余儀なくされるていくでしょう。最近の選挙、そういうのばかりだと思いませんか?

ぜひ、一人でも多くの国民に投票にいっていただき、この憲法を無視した、民主主義の禁じ手にまで手を出した「最低」の解散権の行使に、しっかりとNOを突きつけてほしいと思います。

2017.09.19
お知らせ

論壇『憲法92条、95条と辺野古 分権の潮流から打開策を』

【2017年9月19日 琉球新報8面】

 

当事務所弁護士小口幸人の寄稿が新聞に掲載されました。

 

「憲法改正」の議論でよく耳にするのが第9条についての声ですが、今回は地方自治に関する第92条、また第95条に焦点を当てた内容となっています。

国に権力を集中するのではなく、地方自治に分権していく流れは世界的に起こっています。その流れに乗って、沖縄から地方自治の権限を強める声を挙げる事で、沖縄県が置かれている現状への理解も広がりやすいだろうとの考えを述べています。

 

憲法によって地方自治が保障され、国と地方自治の関係性は縦の関係ではないはず。

ですが、実生活において、縦の力を感じる事がたまにあります。

「国が決めた事だから」「国が言うから・・・」と私たちの生活を国に預けっぱなしでいいのでしょうか。

 

沖縄弁護士会では、今月23日、午後2時より憲法学者 木村草太氏をお招きし「憲法施行70周年記念講演会」を開催致します。

これを機に、沖縄から憲法を、ひいては自身の生活から憲法を見つめ直してみてはいかがでしょうか。

 

沖縄弁護士会HP

http://www.okiben.org/modules/information/index.php?page=article&storyid=249

 

《事務局》

 

 

 

 

 

 

2017.09.14
コラム

「憲法カフェ」という言葉をご存知ですか?

 

私も所属している、明日の自由を守る若手弁護士の会(あすわか)が中心となって全国で開催されつづけている憲法に関する学習会です。弁護士が、レストラン・カフェ・公民館のお座敷・お寺・病院などに駆けつけて、憲法のイロハや、民主主義・平和を学びあう、そんな敷居の低い、ライトなスタイルが特徴です。

 

ご存知のとおり、憲法改正に関する動きが活発になっています。

憲法9条、緊急事態条項、教育無償化など、様々なテーマが自由民主党内で検討されていると言われており、秋からの臨時国会にも改正案が提出される可能性があると報じられています。

 

特に、憲法9条の改正については、「自衛隊」と明記することにどんな意味があるのか、何が変わるのか、どういった点を考えていかなければならないのかなど、本来丁寧に説明されるべきことが、非常にわかりにくくなっています。

 

 

昨年3月、沖縄に移ってからは、しばらく憲法カフェをお休みしていましたが、これからは再び力を入れて取り組んでいかなければと思いなおしています。この間も、沖縄弁護士会や沖縄人権協会、いくつかの自治体で憲法に関する話をさせていただきましたが、憲法9条でも、立憲主義でも、緊急事態条項でも、全力を持ってお話しさせていただきますので、どうぞご検討ください。

 

よし!憲法カフェを開催してみようという方は、以下のあすわかHPへのリンクからご相談ください。

明日の自由を守る若手弁護士の会(あすわか)HPへ

 

憲法カフェではなく、普通に憲法の講演を依頼したいという方は、当事務所HPからご相談いただければ幸いです。

お問い合わせフォームへ

 

 

※写真は、昨年のあすわか主催イベントで、福島瑞穂議員と、サンデーモーニングや報道ステーションに出演されている亀井倫子弁護士と、共演させていただいたときの模様です。

2017.09.07
コラム

去る9月1日から3日まで、福島県に赴き、原発事故の被害に遭われている方から、直接お話を伺ってきました。この現状は、ぜひ沖縄の方にも知っていただきたいので、コラムに書いてみようと思います。

 

2011年3月11日、東日本大震災が発生し、福島第一原子力発電所で大規模な事故が起きました。

もうすぐ9月11日。あの日、被災地である岩手県の沿岸にいた者としては、毎月11日は震災のことを思い出しますし、半年に一度の節目となると思い出すことが多いです。

 

原発事故により避難を余儀なくされた方は、福島県内だけでなく、日本中に避難されました。ここ、沖縄県にも数多くの方が避難し、今も避難生活を送られています。

 

さて、2016年4月に開所した当事務所ですが、弁護士の小口は、沖縄に来る前、東京で弁護士をしていました。福島県内には、膨大な数の原発事故の被害にあわれた方がいて、到底、福島県内の弁護士だけでは受け皿になりきれないという状況でした。そのため、震災直後から、東京の弁護士は、大規模な弁護団を組んで新幹線で福島県内に入り、相談を受けたり、ADRの手続きの依頼を受けたり、裁判の依頼を受けてきました(もちろん、それ以上に福島の弁護士は奮闘していました。)。

 

弁護士小口は沖縄に来た後も、東京にある原発事故被災者支援弁護団の団員として、東京電力を相手にしたADRや裁判にかかわり続けています。去る9月1日も、東京電力と国を相手に提起された裁判に出廷するために福島に赴き、裁判後は3日まで、各世帯の方から具体的な被害状況をうかがってきました。

 

印象的だったエピソードを少し紹介させていただきます。

テレビ番組の「DASH村」の舞台が福島県双葉郡浪江町だったように、福島県内には自然豊かな地域が数多くありました。今回お邪魔した地域は、原発事故前は「田舎暮らし」という雑誌にも紹介されるほど、自然豊かな地域でした。原発事故前は、各家庭が家の周りに畑を耕し、大根、白菜、ネギ、ジャガイモ、ナス、キュウリ、ほうれんそう等を育て、採れたての野菜を家族で食べるとともに、お隣さんや親せきにあげる。各家庭には自分たちの裏山があって、頻繁に山に入ってはキノコや山菜をとる。川にいってはをヤマメやイワナとって食べる。水は井戸水で、他の地域にも自慢できるおいしい水。こんな自然あふれる地域でした。

 

原発事故後、自宅回りを中心にある程度除染がされたのですが、除染されていないところがあります。それが山です。

震災前は、山の木を切ってシイタケの原木にして、原木にならなそうな木は炭にして炭ストーブやいろりに使い、それも難しそうな材木は薪にしてお風呂を沸かすのに使うというサイクルがありました。しかし、山の線量が下がらないため、このサイクル全部ができなくなりました。

 

他にも山が除染されないことに関係する多くの苦しみが続いています。不便になった、支出が増えたということだけではなく、その過程で育まれていた、自然を育む暮らしが、人々の繋がりが、自然を元に育まれてきた文化が失われてしまいました。そして何より、地域から若い世代が、子どもが大幅に減り、学校も統廃合され、地域から若い力がなくなってしまいました。

 

ぜひ考えていただきたいのは、6年半経って、改善された部分はあるけれども、まだ何も終わっていないということです。いま、粛々と原発が再稼働されていっています。しかし、日本は世界トップクラスの地震大国です。本当にこれでよいのか、疑問を感じずにはいられません。ぜひ、多くの方に関心をもってほしいと思います。

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